ソーシャルゲーム無料化への移り変わり

スマートフォンの普及により、ゲームと言えばソーシャルゲームが主流となってきた風潮がある。
3DSやPSVITAなどの携帯ゲーム機や、艦隊これくしょんなどのブラウザゲームがもてはやされるのも、やはり手軽さがあるからだろう。
かといって据え置きのゲーム機が冷遇されているわけではなく、ファンはそれぞれ存在する。

ソーシャルゲームやブラウザゲームの多くは、無料で出来るという手軽さがメリットとして、手を出す層が多い。
しかし、企業にとっては無料では成り立たない。
そこで課金して貰い、プレイヤーは更なる充実を得る。
しかし最近、こんな声が聞こえてきた。
「課金者と無課金者のレベルが違いすぎる。もっと平等になるように配慮してほしい」
正直、何を言っているのかわからない。
デバッグのために雇ったニートにもお金を回すためにも、課金プレイをするのは当然のことである。

昨今、子どももスマートフォンを手に入れられるようになり、このようなソーシャルゲームに手を出しやすくなったことは事実だ。
ゲームの性質上、課金があることは上を求めるユーザーにとっては当然であり、無課金ユーザーとの差がつくのは自明の理だろう。
しかし、そこで「課金と無課金の差をなくしてほしい」と言うのは如何なものだろうか。
無料で楽しめるからこそ更に上を求めているのだろうが、正直に言って厚顔無恥と言うものだろう。
あくまで無料なのはゲーム制作会社の宣伝であり、ユーザー獲得のための戦略だ。
そこから先、企業の与える「御礼」を越えて利を求めるのは如何なものだろうか。
タダより高いものはないとよく言われるが、最近はよく「無料」が当たり前のように語る姿が見受けられる。
フリーソフト、フリーゲーム、無償配布、サンプル、どれも言葉では「無料」と謳っているが、根本には自社製品を買って欲しいと言うゲーム業界の狙いが有る筈だ。
無料と言う上澄みだけを取り入れ、正規商品の購入を渋ればどうなるだろうか。赤字になるのが目に見えている。
勿論、無料ゲームが悪いというわけではない。
自分なりの程度で利用すればいい。
課金するもしないも自分の自由だ。
しかし、先を求める時に金を渋り、「何故無料にしないのか」と憤るようなことをしてはいけない。
先を求めたのは自分であり、提示された条件以上を望むのならば、自分で課金というリスクを背負うべきだ。

「無料」のゲームが巷に溢れる昨今、ふと思う。
このまま全てを無料に、という声が高まれば、いずれ「無料」でものを提供する企業は一つも居なくなるのではないかと。






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